準の、心はたしなむ程度です

メンタルヘルスィ~を目指す人を応援するブログ

カウンセリングのススメ!~ストレスレスな日常を過ごすためのツール~

 

こんにちは、準です!

 

今月より仕事で新しいプロジェクトが始まり、少し心の余裕が減ってしまいました。

プロジェクトごとにクライアント、テーマ、メンバーも変わるため、はじめのうちは結構大変で、睡眠不足も相まって少しメンタルを摩耗させてしまいました…。

 

メンタルを健康に保つには、日常生活のちょっとした心がけからはじまり、外部の力を借りるような方法まで色々あり、自分の状態に合わせて選択することができます。

 

このブログでは、以前『マインドフルネス呼吸法』を取り上げています。

ちょっとのすきま時間を利用してできるので、毎日習慣的に実践できる方法として紹介させていただきました。

jyun-ct.hatenablog.com

jyun-ct.hatenablog.com

 

今日は、ちょうど今の私のようにストレスを感じる環境への対処法を知りたいときに一押しのケアとして、カウンセリングを取り上げたいと思います。

日本では、まだまだ身近なケアではありませんし、受けるのにはちょっと抵抗感のある人も多いようですが、これを読んでくれたみなさんにとって、メンタルの健康を保つ選択肢がまた一つ増えてくれればうれしいです。

 

(ちなみに日本人のカウンセリング利用率はかなり少ないと予想しています><。詳細は下記記事をご覧ください!)

jyun-ct.hatenablog.com

そもそもカウンセリングってなにするところ?

 

ここで扱うカウンセリングとは、厳密には心理カウンセリングのことを指しているのですが、いまいち何をしてもらえるのかよく分からない、という人も多いかと思います。

 

実際にカウンセラーとして働いてらっしゃる方の書籍ではこのように定義しています。

精神医学・心理学などの専門的な知識や訓練をベースにして、相談者の悩みや問題を解決するための援助を行うこと

引用元:『 精神科医の仕事、カウンセラーの仕事』(著)藤本修、関根友美

 

簡単に言うと、やってきた相談者の話を聞きながら抱えている悩みを把握し、相談者が解決の糸口を見つけられるように、第三者の立場で心理療法に関する専門的な知識を駆使しながら支援していく、というのがカウンセラーの役割になります。

 

話を聞くという意味では、友人や家族などに相談するという選択肢もありますが、大きな違いは、

①個人の価値観ではなく専門知識に基づいている

②カウンセリングの場以外での関わりはないため、あくまで客観的な立場でアドバイスをする

守秘義務があるためカウンセリングで相談したことが外に漏れることはない

ということです。

 

身近な人に相談した際に、なんだか批判されて終わってしまったり、これからの人間関係を考えるとアドバイスに従った方がよさそうだ、なんてことで気を揉む必要はありませんし、身近な人には相談しづらいことも、気軽に相談することができます。

 

ただし、ここで誤解なきようお伝えしたいのは、カウンセラーは直接相談者の悩みを解決してくれるわけではありません。

カウンセラーの仕事は、複雑に絡み合ってしまって解きほぐせずにいる悩みを聞き、一人ではたどり着けなかった新しい視点を持つようアドバイスしたり、相談者の役に立ちそうな情報を提供するなど、相談者自らが課題と解決策を見つけられるよう誘導するところまでです。

それを受けて、実行に移すのはあくまで相談者本人、ということになります。

 

一人で悩みを抱えてしまい、気付くとそのことばかり考えているけど、一向に解決の糸口が見つからず困っている、という状態の時、カウンセリングは頭と心に新風を吹き流すことで、滞っていた考えを押し出し、代わりに新しく芽生えた考えに基づいて行動していくイメージです。

 

自分に合いそうなカウンセリングの選び方

 

今の自分は、カウンセリングを受けると少し楽になれるかも?と思い当たるところがあれば、是非このブログを読み進めてみてくださいね。

 

それでは、つぎにカウンセリングの選び方についてです。

案外ここが一番難しくて、ハードルになるのではないかなぁと感じています。

 

検索してみると分かるのですが、カウンセリングと一言で言っても様々な種類がありますし、カウンセラーの掲げる資格にもさまざまな種類のものがあります。

なかには、何の資格なのかよく分からないものや、資格は持っていないけれど自分の経験を活かしてご相談に乗ります、といったスタンスのものもあります。

 

カウンセラーにも医師のような国家資格があれば、それを持っている人がカウンセリングしてくれるところに行けばよいのですが、今の日本の心理職にはそれがありません。

一方で、民間の心理学に関する資格は多数ありますし、カウンセラーという名称で商売をするのに、この資格でなければいけない!などという法的な規制はないので、何なら名乗ってしまえばその日からカウンセラーになることもできます。

 

でも、せっかく自分の悩みを相談するのだから、安心感と信頼度の高いものを選びたいですよね。 

 

私がオススメするのは、『臨床心理士』の資格を持ったカウンセラーがいるカウンセリングクリニックを選ぶことです。

 

臨床心理士民間資格でありながらも、MBAや弁護士のためのロースクールと同じような専門職大学院での教育が必須ですし、スクールカウンセラーなど様々な公的な場所でのカウンセリングを行うための資格要件として掲げられているため、最も信頼度のある資格です。

 

ただし、同じ臨床心理士を持つカウンセラーを抱えている場所でも、基づく心理療法の考え方や対応してくれる相談内容が異なります。

 

そこで私が選んだのは、極力幅広い相談内容に対応し、キャリアや労働に関するカウンセリングにも対応してくれるクリニックでした

 

専門家ではありませんから、カウンセリングを受ける前に自分に何が必要なのか特定することは難しいので、まずは幅広い心理療法に対応してくれる場所で話を聞いてもらったうえで、必要な見立てをしてくれるところを選ぶのが良いでしょう。

 

個人的には、心理療法のなかでも催眠療法を専門にやっています、といった場所は持っていたイメージからしてハードルが高かったので、意識的に避けてしまいました。

また、ストレスの原因が仕事の悩みから来ていることが多いので、産業カウンセラーなど企業でのカウンセリングにも対応していて、仕事の悩みやキャリアの相談にも乗ってもらえそうな場所を選びました。

 

最後にどのようなスタイルで行ってもらうのかを選ぶ必要があります。

カウンセリングというと、対面で行うイメージが強いですが、なかには電話やメールでのやり取りを通してカウンセリングを行ってくれる場所もあります。

ただ、少なくとも初めての場合は対面によるカウンセリングを受けた方が良いかと思います。

メールだとなかなかテンポよく話が進みませんし、文字で詳細まで取り違いが起きないように表現するのもなかなか難しいものです。

電話でも表情の変化などノンバーバルな部分が見えないため、判断する材料が対面よりも少なくなってしまいます。

メンタルの状態を正確に理解してもらい、適切なアドバイスをしてもらうためには、始めは対面でカウンセリングを受けることをオススメします。

 

とはいえ、人によっては住んでいる場所から通えそうな範囲にカウンセリングを受けられるクリニックなどがない、もしくは体調が悪くて外に出るのが難しい、ということもあるでしょうから、そういった場合は状況に合わせて選んでいただくのが良いでしょう。

 

最近は、オンライン上で利用できるカウンセラーと相談者のマッチングサービスがあるようです。

そのサービスでは、自分に合ったカウンセラーを見つけ、Skype上で話を聞いてもらうことができるので、住んでいる場所に制約されることなく相談することができます。

メンタルヘルスに関するケアも、情報通信発展の恩恵を受けて、より気軽に利用できるものが増えてきていますので、また別の機会にどこかで取り上げたいと思います。

 

いざカウンセリングを受けてみよう!

 

自分に合ったカウンセリングを見つけたら、さっそく予約をして受けてみましょう!

 

場所によっても様々ですが、私が選んだ場所では、時間よって何種類かのコースを選ぶことができました。

 

だいたい、30分/60分/90分…と30分刻みで増えていくのですが、60分で1万円程度かかります。

30分だと自分の悩みを伝えきる自信がなかったものの、90分になると1万5,000円…さすがに最初からそこまでのお金を負担するのはハードルが高いなと思い、60分コースを選択しました。

 

結果的に、60分コースで十分満足することができたので、悩みの内容にもよるでしょうが、まずはじめはこのくらいの時間の長さを選ぶことをオススメします。

 

当日の流れとしては、受付後まもなくカウンセリングルームに案内され、受付担当の方以外と顔を合わせることはありませんでした。

カウンセリングルームは、パーテーションで仕切られ、隣の音は全然聞こえてきません

 

ちょっと腰かけられるような背の低いふかふかのソファーにクッションやひざ掛けが置かれていて、向かいに同じ高さの小さな椅子がありました。

ソファーの方に腰を掛けて待っているよう指示され、まもなくして登場したカウンセラーさんが、小さい椅子の方に座ります。

 

はじめてのときは、カウンセラーさんの自己紹介から始まり、次に私がどのような悩みからカウンセリングを受けに来たのか説明するよう促されます。

 

相談内容は人それぞれですが、私の場合は仕事で上手くいかない日々が続いた結果、自己嫌悪の負の連鎖に陥ってしまって抜け出せずにいること、周りの評価が気になっていて、1日程度の休みをとることさえ言い出せずにいることなどを相談しました。

 

カウンセラーさんは、こちらが話しているときはほとんど途中で口を挟むことはなく、話し終えると静かなトーンでこちらの話した内容を元に深堀していくような質問を投げかけてくれます。

 

終盤には、ストレス源の特定や現状に至ったメカニズムを解説してもらい、メンタルの健康状態に合わせてその日からできる習慣を紹介してもらいます。

私の場合は、マインドフルネス呼吸法だったり、周囲にいるパワハラチックな上司への恐怖心の克服法だったりしてきましたが、これまで紹介していただいた習慣はいずれも30秒から5分程度でできるものばかりでした。

 

そしてカウンセラーさんのガイドによって、その習慣をワンセット試してみて、なんとなくの感覚を掴んだところで60分を終えるような感じです。

 

カウンセリングを終えた段階では、まだ解決に至ったわけではありませんが、どんな心持で何を実行に移せば良いのか、ということが見えるだけでも、かなり心は軽くなるものです。

 

心理カウンセリングとは、日常生活を快適に過ごすためのツールである

 

私はこれまで4回ほど、心理カウンセリングを受けに行っています。

  

新しい環境や条件に身を置くことになり、自分一人ではなかなか解決策にたどり着けそうにないな、というときにこそ顔を出してきています。

 (もっと受けたい気もしていますが、値段も1万円程度と決して安くはありませんのでね…。)

 

アドバイスしていただいた習慣を生活に取り入れることで、徐々にではありますが毎回心の余裕を取り戻してきています。

 

そして少し余裕が出てくると、自分が取り入れた習慣がどのような心理療法的な考えに基づいているもので、もっとよくするには何ができるか、といったことを調べるようになり、自分のメンタルの余裕を保つレパートリーを自発的に増やすきっかけにもなっています。

 

個人的には、頭の中で悶々と考えてこじらせてしまう前に、ぱっと第三者の助言を聞くことが大事だと思っています。

 

冒頭にも書いたように、心理カウンセリングはまだまだ身近なものではないでしょうが、決して怖い場所ではないですし、心が弱いからカウンセリングにいくということでも決してありません。

 

同じ日常生活を過ごすにしても、感じるストレスや苦しい気持ちが少ない方がいいですよね。

心理カウンセリングは、そんなストレスレスな日常を過ごすための心持ちと習慣のアドバイスを得られる場所なのです。

 

今、少し心の余裕がなく、頭の中で心地よくないことを悶々と考えてしまっている方には、心理カウンセリングをオススメいたします。

 

 

~心の処方箋~映画『沈黙‐サイレンス‐』レビュー

時間の長さ×宗教弾圧の話なので心が元気な時に観てね(笑)

 

こんにちは、準です。 

 

先日、映画『沈黙』を観てきました!

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 出典元:映画.com

友人が舞台挨拶に当選し、誘ってくれたのですが、仕事の都合がつかず断念していたので、念願の鑑賞でした。

(なんとか抜け出す方法を探したのですが、どうしても無理でした。笑)

 

監督:マーティン・スコセッシ

原作:遠藤周作の小説『沈黙』

キャスト:アンドリュー・ガーフィール、アダム・ドライバー、リーアム・ニーソン窪塚洋介、など

製作年:2016年

上映時間:162分

 

この上映時間見ちゃうと、ながぁ~っ!となってしまいますよね…。

しかも、日本での宗教弾圧が題材なので、話題になっているとは知りつつも、内容の重さに腰が引けている人は多いかと思います。

 

得意不得意が分かれる映画であることは確かです。

2時間半かけて、苦しいシーンを見ながら宣教師が転ぶ(=棄教する)かどうかを見届けるので、楽しい!てわけでもないです。

 

とはいえ、宗教弾圧が題材になっていながらも、人間の普遍的なあり方や心の持ち方について考えさせられる作品ですので、ここで取り上げたいと思います。

 

心が元気なうちに観ておいてほしい作品、という注釈をつけさせていただきます。笑

 

 

ストーリーの舞台は17世紀、江戸時代の日本。

多くの宣教師に慕われ名高かったイエズス会司祭のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が、布教目的で渡った日本・長崎の地で行方不明になり、棄教したという噂まで舞い込みます。

噂を信じない2人の弟子ロドリゴとガルペは、フェレイラを救出すべく、マカオにいた日本人キチジロー(窪塚洋介)のガイドで長崎に潜伏し、弾圧におびえながらも信仰を続ける隠れ切支丹(キリシタン)達に匿われます。

しかし、次第に弾圧の手が回り、ついにはキチジローの裏切りによってロドリゴも幕府に囚われてしまいます。

 

長崎奉行の井上筑後守(イッセー尾形)は、ロドリゴ自らが棄教することで切支丹達の見本となり、彼らを苦しみから解放するよう迫ります。

大いなる信念によって救われると信じ続けてきた宣教師は、目の前で犠牲になっていく人々を目にしたとき、どのような決断を下すのか…。

 

といった感じの内容です。

 

俳優陣だけを見ると、

ロドリゴスパイダーマン役のアンドリュー

・ガルペ⇒スターウォーズのカイロ・レン役のアダム

・フェレイラ⇒スターウォーズのクワイ=ガン・ジン役のリーアム

 

が出演しているので、SFキャラが作品の垣根を越えて、師匠を助けに行くのかっ!!なんて興奮していましたが、最初から拷問シーンなので、すぐに興奮がへし折られました。笑

 

▽アンドリュー扮するスパイダーマン

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 出典元:映画.com

▽アダム扮するカイロ・レン

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 出典元:ciatr

▽リーアム扮するクワイ=ガン・ジン(右)

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 出典元:映画.com

『絶対的なもの』への耐性 

 

キリスト教を盲信する宣教師 vs 是が非でも禁教する幕府、と主張こそ対立するものの、どちらが正義でどちらが悪かという単純な感想を抱くことがないのが良さの一つだと思います。

見方によっては、盲信的な信仰と自国には根付かないと固執し排他的になることは、信じる対象が違うだけで構造自体は同じに映ります。

 

冒頭にも書いたこの映画の普遍性は、時代や環境に関わらず直面する大なり小なりのパラダイムシフトとの直面を描いているところにあるように思います。

 

宣教師ロドリゴたちにとってキリスト教がそうであったように、今まで信じていたことに対する絶対的な意識が強ければ強いほど、それを変えるということは至難の技ですし、心理的な抵抗感は大きくなります。

 

宗教でなくても、私たちは生活の中で無意識のうちに様々な『絶対的なもの』に遭遇しています。

この世に生まれてから育ててきてくれた親の教え、学校の先生の教え、大学に入学してからの環境などで培うこういう会社に就職すべきという考え、社会に就職してからも自由なようで社風や研修をで植えつけられる社会人とは『こうあるべき』という教え、上司の考え…。

 

人間は様々なことに影響を受け、物事を認識・判断するための尺度を形成していきますが、その都度従うことを求めてくるような考えや教えと出くわします

 

ただ、どれをとっても完璧な考えや本当の意味で絶対なものではないですし、これさえ従っておけば間違いない、などというものも存在しません。

その考えや教えも、心から自分のためを思ってはなたれたものであれば話は簡単なのですが、『あなたのため』という仮面を被った自己主張だったり、実利的に従ってほしいことだったりすることも結構ありますよね。

 

それらを絶対視すると、考えることから解放されるかもしれませんが、考える自由を失い、経済的、心身に危険が及ぶリスクもある、ということは頭の片隅に置いておいた方が良いと思います。

 

私も新卒で入社した大手事業会社で過ごした時間は、かなり宗教的な研修や上司の考えに触れることが多かったように思います。

 

入社間もなくして、新入社員同士でグループを組み、架空プロジェクトへのチャレンジを通して、仕事で身に付けるべき意識を学ぶというプログラムがありました。

部屋から出ていけ!!!出来が悪い!!などと、なぜかことあるごとに怒鳴り散らされ、みんなビックビク。

最後はその研修講師にプレゼンし、優しい言葉をかけられ女子はみんな泣いて終わり、という…笑

怒鳴り散らされ圧力をかけられることで、無意識のうちに目的というよりも従うべき教えを探し、それに忠実に従おうという意識が形成されていました。

他社に就職した友人から聞いても案外似たことをやっていたようです。笑

 

部署に配属になってからは、研修ほど極端なことはなかったですがちょっとした違和感のある出来事が少しずつ積みあがっていき、次第に感覚が鈍っていっていたのかもしれません。

 

当時はそこに違和感を覚える自分がダメなのかもしれないと感じ、転職活動を経て退職するときも、最後まで自分の判断に自信を持つことはありませんでした。

 

振り返ってみると、なんだあれが正しいと思ったんだろう…と不思議なくらいなのですが…。

 

実利的な都合のために、『絶対的なもの』という意識を植え付けられることって結構ありますし、時間が経ってしまうとその呪縛から逃れるのは結構大変です。

案外はじめに覚えた違和感が大事だったりもします

 

自分が何を望み、何は望まないかということを日頃考え続けることは、『絶対的なもの』の呪縛に掛かって操作されることの耐性形成になるかもしれません

 

『絶対的なもの』を選ばなくてもよい時代をかみしめたい

 

ところで、作中に登場する村人たちがなぜ身を危険に晒してまで踏絵拒んだのか不思議に思った人もいたのではないでしょうか。

自分なら踏んで身の安全を確保し、心の中で信じておけばよいではないか、と思った人がいるかもしれません。

 

映画に登場する宗教は、キリスト教といっても、偶像崇拝をするカトリックの方です。

原理としては、偶像は信仰の対象であり、踏んでもよいかどうかの解釈そのものは神職に就く人間のなかでも、相当上位の人間にしか認められなかったようです。

でも、その人物がいないので、どんなに心の中で信仰していても自分たちの判断で踏むと棄教になる、という袋小路に陥った結果、彼らは踏むことができなかった、という解釈を私は採用しています。

 

現世で苦しい想いをし、せめて死んだらあの世で苦しみから解放されるために必死で信仰してきたのに、踏んでそれがちゃらぱーになる、と言われたら、確かに踏めないかもしれませんよね…。 

 

実は、私は小学校時代を海外のカトリックスクールで過ごしています。

私がそうであるように、洗礼を受けていなくても入学は出来ました。(その学校初の日本人の生徒でしたが)

洗礼を受けていても、心の中で思うことが大切であって、行動規範のように忠実に気にする様子はあまりなく、信仰心の幅も認められているようでした。

仮に彼らに踏絵を要求し踏んだとしても、はい、あなた棄教です、ということにはならないでしょう。

 

カトリックが普及し、時代とともに信仰のありかたも変わった、ということでしょう。映画で描かれた時代に何を望み、何を望まないか考えて選択しろ、言っても犬も食わぬつまらない正論ですが、今柔軟な信仰や思想が許されている時代を生きられることはありがたいことです。

 

そんな時代に、誰かの実利のために操作されていたら勿体ない!笑

判断のつくうちに、そういったことへのリテラシーを高め、自分が何を望み、何を望まないのか考えておきたいところです

 

興味がある方、そして心に余裕がある方は、是非映画館にいって、様々な立場から人間のあり方、心のあり方を考えるきっかけにしてみるのもいいかもしれません。

 

以前、ホラーストーリーとして精神を患っているときに新興宗教の勧誘を受け、そっちに転びかけた友人の話を取り上げています。

是非こちらも合わせて読んでみてくださいね。

jyun-ct.hatenablog.com

ドラマ『嫌われる勇気』放送開始!アドラー心理学は貧乳をも救うのか?PART②

こんにちは、準です!

 

前回の更新からだいぶ時間があいてしまいました…。

仕事の会食などに参加している間に風邪をひいてしまい、まとまった記事作成の時間が取れる土日に寝込んでしまいました…。

インフルエンザも流行っているようですので、みなさんも体調に気を付けてくださいね><

 

さて、前回はアドラー心理学への理解を深めるために、身近な悩み、私の場合は劣等感☆二大巨頭である『貧乳』(前回同様にHNと記載します笑)と『仕事』による傷をあてはめ、解説して来ました。

 

jyun-ct.hatenablog.com

 

今回は、予告の通り、劣等感を言い訳にし、いつまでも変わろうとしない自分から脱するためにどうしたらよいのか、ということをドラマの原作である書籍同様、対話形式で解説したいと思います。

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出典元:Amazon 

他人からの承認ではなく、自分で自分の承認欲求を満たしてあげよう

 

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私「いつまでも他人との比較で劣等感に浸り、変わろうという勇気を持って一歩を踏み出さないことの言い訳としてHNを利用していたとしても…どうしたらいいか分かりません…」

 

アドラー「準さんは、他者に魅力的だと思われたいけど、多くの人が巨乳を魅力的だと評価するからHNじゃ自分の魅力を認めてもらえない、と思っているのではないですか?」

 

私「はい…巨乳だったら、もっと魅力的に見えて他人の目など気にならなくなっていたと思います…」

 

アドラー「準さんは、まず他者に認めてもらおうとするような、承認欲求を捨てなければいけません」

 

私「どういうことですか!?承認欲求は、人間がもつ普遍的な欲求なんじゃないですか?それを捨てるとは一体…」

 

アドラー「はい、私も承認欲求そのものを捨てろ、と言っているわけではありません。他人に認めてもらうことを通して欲求を満たすのではなく、自分で自分を認めてあげて満たす、ということです」

 

アドラーは、これまで一般的に言われる承認欲求が、自分以外の他者に認めてもらうことを指しており、私たちが目指すべきは、自分の主観によって自分は価値ある存在である、と認めてあげる必要がある、と説きます。

 

アドラー「巨乳な人しか魅力的じゃない、と偏った評価をする巨乳大好き人間さんがいたとしても、世界中にとって準さんが魅力的ではない、という結論に至ることはないですよね?」

 

私「(誰だよそれ)…むしろそうだったら困ります」

 

アドラー「まさに。その人に認めてもらうためには、絶対に巨乳にならないといけない、ですが準さんにとってそれが無理な話だとすると、準さんの承認欲求は永遠に満たされないことになりますよね?」

 

私「(かはっ…!」

 

アドラー「私が伝えたいのは、他者に自分の承認欲求を満たしてもらおうと躍起になることの無意味さです。でも、以前もお話ししたように、人は自分で物事の解釈を決めることができますから、自分の主観によって自分のことを認めてあげることだってできるということです」

 

私「確かに他人に認めてもらおうとすると、底なしの沼にはまりそうな感じがします…でも、自分で自分の価値を認めてあげるというのは、なんだかかなり難しい気がしますが…」

 

アドラー「そこでまず必要になってくるのが、自分で自分を受け入れるということです。HNである自分を否定も肯定もせず、変えようのない事実であることを受け入れます。そのうえで、自分自身をよりよくするためにはどうしたらいいかを考えていくのです」

 

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アドラー心理学では、他人からの承認欲求を否定する一方で、自己受容と自分の主観による他者貢献の認識を確立させることを推奨しています。

 

確かにHNを認めない人に認めてもらおうとしても、無理なものは無理…。

現実世界では、他の価値観を持った人に承認欲求を満たしてもらうことも可能ですが、どこまでいっても全ての自分の要素を認めてもらうことは不可能です。

 

ならば、まずは自分の特徴を受け入れ、より良い人間になろうと心がけるとともに(自己受容)、自分の主観によって、自分は他者に対して価値がある人間だと思ってあげる(他者貢献)方が良いではないか、ということです。

 

ん~…これはとても難しいことだな、と思いました。

特に、仕事にあてはめると少し複雑です。

 

どこの会社にも、評価基準というものが存在し、その基準によって一定期間のパフォーマンスが評価される仕組みになっています。

基準に応じて評価を付けるのは、間違いなく自分ではなく他者がすることだと考えると、宮仕えの立場の人間が上司などから認めてもらいたい、という欲求を手放すことは、ハードルが高い…。

 

もちろん、他人に貢献できているんだ!と感じられるようなオリジナル評価基準を持ち、自分には価値がある、と認めてあげることは理想ですが、それを作り出せる人とそうでない人がいるのは確かです。

 

評価基準なんかがあるからいけないんだ!

…確かにそうかもしれませんが、批判は易し、私たちの大半が評論家ではなく、現実社会で生きる人間です。

目の前の環境・条件のもとで、どうしたらよいか?を考えなければならない立場である私たちは、どうしていったらよいのでしょうか?

 

他人の課題への介入ではなく、他人を支援しよう! 

 

アドラー「 そもそも、自分でできることとできないことがあるとは思いませんか?」

 

私「できることとできないこと…?」

 

アドラー「例えば、巨乳大好き人間さんに対して、HNなりに努力し魅力的に見せようとすることは、準さんのできることですよね?」

 

私「チャレンジするかはともかくとして…はい…」

 

アドラー「ですが、その行動を見て最終的に評価できるのは、準さんではなく巨乳大好き人間さんです」

 

私「まあそうでしょうね…」

 

アドラー「できることをやったら、あとは評価をするのは巨乳大好き人間さんですので、それを気にしないことなのです」

 

アドラー自分にできること=自分の課題/自分にできないこと=他社の課題、と明確に分け、自分の課題だけを全うするよう説いています。

 

私「自分の課題だけをこなして、他人の課題は気にしないというのは、自分以外の人に対して無関心を決め込むようで、少し覚めているように感じるんですが…」

 

アドラー「無関心では決してありません。相手に自分を良く思ってもらえるように、自分は巨乳大好き人間さんを支援するんです」

 

私「でも、それでも結局HNはダメ、って評価されたら、辛くないですか!?これだけ頑張ったのに、相手に伝わらなかったなんて…となりませんか!?」

 

アドラー「それでいいのです」

 

私「だめです!(きっぱり」

 

アドラー「準さんにできるのは、自分のHNを受け入れて、それでも魅力的に見える方法を探しすこと、そして相手をHNを否定する敵ではなく仲間だという気持ちを持って、自分の魅力が伝わるように努力することだけです。

それでも、巨乳大好き人間さんが魅力に気付かず、あなたが傷ついたとしても、そんな自分をまたありのままに受け入れ、またより良い人間になろうと努力するのです」

 

*******************

  

自分/他者の課題をしっかり分離させ、他者の課題までどうにかしようとすることアドラー介入と呼んで否定します。

そのかわり自分にできることであれば、一生懸命相手を支援してあげる

仮に支援して裏切られたとしても、悲しむ自分を自己受容し、また他者支援を繰り返さなければならない、と。

 

 

これはもう難しすぎて、混乱ものでした…。笑

 

私の仕事で例えましょう。

チーム一丸となってクライアントへの提案内容をまとめ、いざクライアントにその提案をしました。

しかし、その内容をクライアントが気に入らず、炎上してしまったときに上司が私たちを裏切り、全責任を私などに擦り付けてきたとします。

それでもなお、私は次も支援の心で接しなければいけない、ということになります。

 

私たちの生活にアドラー心理学はどう役立つのか?

 

ここまでの流れを下図の通りまとめてみました。

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アドラー心理学では、新しい考え方を採用することで、自分には価値がありここにいてもいいんだという共同体感覚を手に入れることができる、そして人間はここを目指すべきだと説きます

 

まあ言われていればその通りかも、という感じなのですが、自分をありのままに受け入れることも、裏切られるかもしれないのに他者を信頼することも、自分の主観で他人に貢献できていると感じることも、かなり難しいことだと思います。

 

じつは、アドラーもそれが難しいということを分かっているのです。

それでもこんなことを説くのは、

あなたが始めるべきだ。

他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく

 

※『嫌われる勇気』(著):岸見一郎、古賀史健 より引用

ということだそうです。

ふぅー…アドラーはなんと難しいものを私たちに課しているのでしょう…。

 

とはいえ、できることを少しずつ取り入れることは可能です。

例えば、他者の課題に過剰に介入しない、という話。

 

仕事がうまくいかず、周りの目が気になってしまうようなとき。

周りの目を気にしすぎると、目の前のこともまともに手がつかず、また失敗を繰り返してしまうものです。

そんなときは、私にできるのは、今目の前のことを一生懸命にこなすことだ、と頭の中で唱えてみるのが良いでしょう。

 

上司がパワハラ野郎で、自分の評価基準を振りかざし、人身攻撃までしてきたときはどうでしょう。

そんな上司の評価を気にしすぎて、従おうとするととても苦しいですし、従って自分が過ちを犯すようなことがあったら、『私は上司に従っただけです』で責任は免れるでしょうか?

答えはノーでしょう。

間違っていると思ったら、ひそかに自分の評価基準を持ち、全うできたら自分を認めてあげましょう。

パワハラは慢性化すると、判断力が鈍ります。

序盤で感じた自分の違和感や直感を大事にしたいところです。

 

今の時点で私がアドラー心理学に対して言えることは、他者の目を気にしすぎるようになったら、軌道修正する形で私たちを救ってくれる考え方である、ということです。

 

そういう意味では、今時点ではアドラー心理学は私を貧乳の劣等感から根本的に救ってくれいるわけではいませんが、劣等感は緩和されている、といったところでしょうか?

 

 

ちなみに、NEWSの加藤シゲアキさんが主人公のドラマ版は、結局2話目以降を見れていません…。

心理学を扱う番組、という意味では興味があるのですが、テレビドラマとしての面白さとなるともう一歩ほしいのかもしれません…難しいですね…。

 

 

 

ドラマ『嫌われる勇気』放送開始!アドラー心理学は貧乳をも救うのか?PART①

ドラマ『嫌われる勇気』のアドラー心理学とは?

 

木曜日10時よりフジテレビにて、ドラマ『嫌われる勇気』が始まりました!

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出典元:番組公式HP

 

このドラマは、アドラー心理学の考え方と実践方法を題材とした、ベストセラー書籍である原作『嫌われる勇気』を刑事ドラマに仕立てたもの。

 

今日はそのアドラー心理学についてです。

 

アドラー心理学は、オーストリアの精神科医兼心理学者のアルフレッド・アドラーによって確立された分野で、彼はフロイトユングとともに心理学の三大巨頭と呼ばれている人物です。

もともとはフロイトの研究グループで共に切磋琢磨した仲だったようですが、学説上の違いから袂を分かち、個人心理学と呼ばれる分野を確立させました。

 

原作は、とある哲人が劣等感に悩む青年との対話の中で、青年の悩みにアドラー心理学をあてはめ、解決させていくという内容。

 

先に言ってしまいますが、どうも私はこの対話描写がこそばゆくて、なかなか先に進めませんでした。笑

というのも、青年は長年抱えてきた劣等感で、相当偏屈になってしまっているのか、

『ええい、このサディストめ!!あなたは悪魔のような御方だ!』

などといった発言を頻発させますw

いまどきそんな発言聞いたことないですし、哲人の間違いを論破してやる!!という青年のスタンスにも突っ込みそうになります。笑

 

ただ、アドラー心理学自体は知っていて損はないですし、みなさんにも是非知っていただけたらと思うので、今日は私の劣等感☆二大巨頭である『貧乳』と『仕事』による傷が、アドラー心理学によって解消されるのか検証する形で渾身の解説に挑戦していきたいと思います。

 

スケープゴードにされたトラウマ

 

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 私「友達に貧乳(ここから先は精神的摩耗を軽減すべくHNと書きます笑)をいじられた経験がトラウマで、他人の視線が気になり人前に出る自信がありません…どうしたらよいでしょうか?」

と、アドラーに相談したとします。

 

アドラーはまず、HNで、それをいじられたことが自信のない原因、という私の考えを否定するところから始めます。

 

アドラー「過去のいじられた経験は、本当に原因でしょうか?人前に出る自信のない自分に対して、今のまま変わらなくもいい理由として貧乳(アドラーも歩調を合わせてHNと笑)を言い訳に利用しているのではないですか?」

  

私「ひ…HNってことが嫌なのに、一体何の言い訳に使っていると言うんですか…それに私は変わらなくてもいいなんて思っていません…」

 

変わりたい、でもHNだから変われないと悩んでいるのに、今のままで良いという考えを正当化するためにHNを利用している、なんて言われると訳が分かりませんが、アドラーはこう続けます。

 

アドラー「あなた自身は変わらなくてもいい、と思っている自覚はないかもしれません。では、HNなりに変わる方法を必死に考えましたか?色々考えても、結局『でも…私はHNだから無理…』という考えにたどり着いてはいませんか?」

 

私「…うっ…!でも、巨乳だったらもっと自信が持てたはずだし、変わらなくていいと思っていたらこんなに悩みません!」

 

アドラー「あなたは、HNをいじられていなかったとしても、はたまた巨乳だったとしても、それ以外で人前に立てない理由を探し出していたかもしれませんよ。変わりたいと思っていないわけじゃないんです。変わりたいけど、変わろうとして行動を起こしたときに傷つくのを怖がっているんです」

 

私「えっ、HNってだけで人目が怖いのに、それ以上に怖いことなんて…」

 

アドラー「HNが気になって人前に出られない、という悩みはあなたがすでに経験していることですが、解決に向けて行動すると、新たに恐怖心や嫌な気分になる出来事に直面するかもしれません。それは今のあなたにとっては、経験していないものですよね?人は知らないものに対して、恐怖心を抱くものです。」

 

*******************

  

HNであることが劣等感となり気にしていることが原因で、人前に出る自信がないと思っていましたが、アドラーに言わせれば、HNなりにどう解決させようかと考え行動に移すことはいくらでもできる、と。

でも、変わろうとしたときに直面するかもしれない、まだ見ぬ出来事を想像してしまうと怖くなります。

すると、今のままの私であることの方が楽だし安心だから回避したい、という気持ちが芽生え、自分が変われなくても仕方ないと思えるような、心地のよい理由を見つけ浸っている、と説いているのです。

 

 

HNによるトラウマや劣等感を、人前に出る自信がないことのスケープゴードにしているように、他でも同じようなことが起きていました。

 

長時間労働とともに『ネガティブ思考のループ』を繰り返している間、メンタルヘルスのバランスを崩しかけたことは過去のブログで幾度となく触れてきました。

 

「次も失敗したらどうしよう…また失敗してしまうかもしれない…。なんでこんなにだめなんだろう…経験も短いし学歴だってみんなほどピカイチじゃない…性別も違って体力もない…」

 

いつも、経験、学歴、性別など、変えられない事実や過去のことを理由に挙げて、だからだめなんだ、と同じことを何度も頭の中で反芻していたことを覚えています。

そうやってる間に、どうしたらいいか考えればよいのですが、それができずにいることを不思議に思っていました。

アドラーに言わせれば、変わろうとしたときに直面するかもしれない出来事を潜在的に避けていたことになります。

 

自分が抱いてきた劣等感が、これ以上傷つかないようにするための言い訳だという視点は新しく、驚きました。

 

全ての悩みは「対人関係の悩み」!でも悩みの種の解釈は自分で選べる!

 

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アドラー「『自分はHNだ』という言葉に込められているHN=劣っている、という認識は、自分の主観的な解釈でしかないんですよ。」

 

私「どういう意味ですか…HN好きもいるから大丈夫だよ、とでも?(ジトッ」

 

アドラー「違います。笑 まず、準さんの下着のサイズをお伺いしてもよろしいでしょうか?」*1

 

私「だめです!!!(叫」

 

アドラー「…。笑 私が言いたいのは、サイズ自体は定量的で客観的な事実ですが、それに対してHNである、はたまたHNは劣っている、という解釈は自分が下した主観的な評価だということです。」

 

人によって変わるということは、主観的な解釈は自分で選んでいるものであり、それを変えることができると、アドラーは説いています

 

アドラー「『HNだからだめ』というのは、準さんの選んだ主観的な評価ですが、これは他人と比較をし、誰かにいじられ、他人の視線を気にしているから発生した悩みで、この世に自分以外の人間がいなければ発生しない悩みです。」

 

人間が持つすべての悩みが『対人関係』の悩みに集約されるというのは、アドラーの代表的な考え方の一つです。

他人がいなければ、比較する対象もないし、自分以外の人間がいなければ、孤独を感じることはおろか、その概念自体生まれません。

 

私「そうかもしれませんが…自分以外の人間がいなくなるわけではありません…。私の中では、巨乳は勝ち、HNは負けという対立軸があって、自分は負けているという解釈は変えられません…」

 

アドラー「まさに、人間関係というのは競争関係ではないのですよ。健全な劣等感は、理想の自分と比較し、もっとよくなろうとするための起爆剤になりますが、準さんのそれは違います。誰とも競争することなく、ただ今の自分よりも良くなろうとすることが重要なのです。」

 

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アドラーが伝えたかったこととは?

 

つまるところ、アドラー心理学とはこんな考え方だと思っています。

 

①人は変わる過程で遭遇するかもしれない出来事を恐れ、勇気を出せずにいる

②劣等感やトラウマはそんな自分が変われないことのスケープゴード

③劣等感を感じている出来事は、自分の主観的な解釈にすぎず、変えることができる

④劣等感が他人と比較して発生するように、人間の全ての悩みは、対人関係によって発生している

⑤本来、健全な劣等感は個人個人が理想に近づくための起爆剤となるもので、他人との比較で発生するものではない

 

仕事でも、自分の経験、学歴、性別を他人と比較し、自分の下した勝ち負けの評価に一喜一憂したところで、それがネガティブな思考の負の連鎖には繋がっても、自分の成長につながっておらず、ただただメンタルヘルスが悪化していったことから考えても、健全な劣等感ではないことは理解できます。

 

みなさんも私の『HN』や『仕事』の事例のように、他人と比較し抱えてきた劣等感や、トラウマだと思っていることが、実は変わらないことの言い訳だったのでは…?と思い当たるようなことはないでしょうか?

 

あったとしたら、次に知りたいのはその先の解決方法ですよね

 

アドラーはそんな私たちに対して、『人生のタスク』に向き合う必要性と、その向き合い方を残してくれています。

次回はそのあたりをブログで解説していきたいと思いますので、ちょっと思い当たる節あるかも…という人は、是非次回も遊びに来てみてくださいね。 

 

おまけでドラマのレビュー!

 

心理学と関係のあるドラマということで興味を掻き立てられ、録画して観ました!

 

刑事ドラマの中でどうアドラー心理学を解説するんだろう?と思っていましたが、NEWSの加藤シゲアキさん扮する青山年雄と、香里奈さん扮する庵堂蘭子が、殺人事件解決の中で遭遇する様々な課題をこなしていく姿を通して、アドラー心理学の考えが解説されていきます。

 

着眼点としてとても面白いと思いましたし、人間関係の輪を乱すまいと気にかけるあまり、後ろの怪しいやつを見逃す青山に対し、人の目をいちいち気にしない庵堂が、自分の課題にまっすぐ突き進む対立的描写はわかりやすいと思いました。

 

ただ、教授兼警視庁コンサルタントの大文字教授と、そんな彼に相談に来る青山、という関係性が『実に面白い…』という過去の産物を彷彿とさせ、単純な面白さで比較してしまいました。笑

 

また、『嫌われる勇気』という題名に引っ張られてか、庵堂が嫌われるようなことを平気でするサイコパス的な人間に映ってしまっていたような…。

 

作中には、庵堂が今の自分の出発点となった、と語る事件を回想する意味深なシーンも…。

これからその真相に迫っていきながら、庵堂がどのようにして『アドラー人間』となっていったのかが、明かされていくのかもしれませんので、もう少し見てみようかな?という感じでした!

 

(PART②へ続く…)

*1:実際のアドラーは多分こんな質問はしていないでしょうね

〜心の処方箋〜映画『ブルーに生まれついて』レビュー

箸休めとして映画レビューなるものを書いていこうかと

 

私は、よく映画鑑賞をします。

 

視覚的な情報は、人間が感じられる知覚の中でも特にダイレクトに訴えかけてくるので、映像を通して他人の人生を体験しているような感覚になれるのが面白い。

 

大笑いして、ドキドキハラハラ興奮して、涙が出て、そんな風に心が揺り動かされたり、日常の言語化できないもやもやに突然答えが出ることも。

(ただ後味が悪い時もありますが。笑)

 

そんな『心の変化』が訪れるのを期待して『これが効くんじゃない?』と、自分に映画を処方するような気持ちで選ぶときがあります。

 

これから少しずつ、私が見た映画のレビューを通して得た『心の変化』などを書いていきますので、興味の湧く作品があれば、みなさんもストレス発散を兼ねて是非観てみてください!

 ただし、一様の心の変化がみなさんに訪れるわけではありませんので、そこはお手柔らかに。笑

 

共感でも、全然違う心の変化が訪れた、違う視点で見たでも良いので、お気軽にコメントいただけますと嬉しいです。

 

好きな俳優見たさと不安の間で揺れ動く私の心(笑)

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画像はhttp://eiga.com/movie/83140/photo/より引用

 

初めてご紹介する作品は『ブルーに生まれついて』。

監督:ロバート・バドロー

キャスト:イーサン・ホークカルメン・イジョゴ、カラム・キース・レニー、等

製作年:2015年

上映時間:97分

 

日本では、昨年11月末から公開されており、主演は『6才のボクが、大人になるまで』や『ビフォアシリーズ』などで有名なイーサン・ホーク

私の好きな俳優ということもありもう少し早く観に行きたかったのですが、ストーリーを読んで若干ひよってしまいました。

 

主人公は1950年代のジャズトランペット奏者、チェット・ベイカーイーサン・ホーク)。

黒人アーティストが主流だった(らしい)ジャズ界で甘いマスクとソフトな声でファンを魅了する一方、ドラッグに手を染め身を滅ぼしていく…。

映画は、そんな主人公の自伝映画の撮影から始まるのですが、元妻役の女優ジェーン(カルメン・イジョゴ)と撮影後にボウリングを楽しみ、出てきたところを麻薬の売人の暴行に遭い、前歯はすべて失うわ、顎は砕かれるわで病院送り…。

キャリアを続けていくことは不可能に見えたチェットでしたが、ジェーンの愛に支えられながら、自身の人生を取り戻すために、ドラッグからの離脱とトランペット奏者としての再起を目指すストーリーです。

 

観るのにひよったのは、前歯が折られたり顎を砕かれるシーンが、チェットの心がその後の挫折で滅多無性に打ち砕かれていくことのメタファーであろうと想像すると、暗い気持ちで終わってしまうんじゃないか…と恐れたからです。

 (映画に明るい人はこんなこと言わないんでしょうけど、すみません、人には得意不得意がありますから笑)

 

実際は、『人間』の難しさが表現された、ただの良作だった!

 

物語は、ドラッグの誘惑に駆られ、過去の栄光の片鱗もない演奏をするチェットの姿とともに進んでいきます。

 

ドラッグに溺れているミュージシャン、というだけだと多くの人は共感しづらいかもしれません。

でも、その傍らには信じられないほど良い女ジェーンがいつも寄り添い、献身的な支えによって、少しずつ人生に向き合おうとする、ダメ人間チェットなりの人間的な善良さが少しずつ引きずり出され、私の当初の恐れは静かに消化されていきました。

 

その一方で、主人公が周囲に献身的に支えられて再生する映画って結構ありますし、人生ってそう上手く運ばない、という気持ちも湧いてきます。

 

…欲張りですね。笑

 

だって、日常生活はやってはいけないことだと分かっていてもやめられない苦悩であふれ返っていますから。

いつの間にか後戻りできなくなったり、他人からしたらなんてことないことに刺激されて悪い方向にひた走ってしまっていたり…。

私たちは、そんな難しさを抱えて日々を生きています。

 

この映画は、描かれているチェットという人物の不安定さによって、かえってそんな両方のニーズをバランスよく満たしてくれるような作品でした。

 

また、栄光と挫折、再起を描く伝記的作品って、主人公が華麗なV字回復をする姿を描くことが多い気がするんですが、この映画では人生を楽しんでいた頃のチェットはほとんど表現されていないので、よくある有名人のV字回復、というありきたりな感じにまとまっていないところもおすすめポイントの一つです。

 

ジェーンは私たちとチェットの橋渡し的存在なのでは

 

あとで知ったのですが、劇中で常にチェットを献身的に支えたジェーンは、実在人物ではないそうです。

 

人によっては、実在人物を扱っているのに、肝心の人物が実在しないとは!?と受け入れがたい人もいるかもしれません。

でも、私は周囲からはなかなか理解されにくいチェットなりの良さを表現するための橋渡し的な役割を果たしていたんじゃないかと解釈しています。

 

真意は分かりませんが、チェット・ベイカーという一人の男を観客に知ってもらうための、監督の計らいだったかもしれません。

(違うかもしれません。笑)

 

もしジェーン以外の存在でチェットの良さを引き出すとしたら、どんな方法があるかと勝手に監督になった気分で思いを巡らしてみたくもなりました。

 

私にとっての『ブルーに生まれついて』的処方薬の効果

 

この作品を通して、人間は正しい道が分かっていても、それをひたむきに進めない難しさを抱えて生きていることを、改めて実感します。

でも、そんな難しさを抱えていても、寄り添い、良さを理解しようとしてくれる人があなたの周りにもいるかもしれません。

 

これからも、私たちは正しい道を進み続けることはできないでしょう。

でも、そんな自分に寄り添ってくれている人のことを思い出すと救われる心があり、相手を大事にしたい心が浮かんできます。

 

私は、そんな心にしてくれる人たちがいるから、今日も難しさのなかに飛び出せているんだと気付かされました。

 

この作品を通して、あなたにもそんな『心の変化』が訪れるといいですね。

あなたも騙された!?『過労死』と報道するのが違和感MAXな件について

電通事件の原因は、ほんとにほんとに過重労働だけなの?

 

お正月に親戚と集まっていたとき、電通の新卒社員だった女性が自殺してしまった事件が話題に。

 

「かわいそうにね…会社に長時間働かされて、自殺しちゃったのね…」

 

(やはり、みんなそういう風に捉えているのか…)

 

まず、亡くなられた新卒社員の女性のご冥福をお祈りいたします。

 

この悲しい事件の背景を伝える報道のキーワードは、過重労働、残業110時間、嘘の労働時間申告の強制、に偏っていた気がします。

 

政府の発言を見ても…

 

官房長官

長時間労働是正が重要

 

塩崎厚生労働大臣

―法律(=労働基準法)が守られていない状況があるということを考えると行政側のパワーアップも必要ではないだろうか

 

と、この事件が長時間労働によって発生したかのような発言が目立ちます。

 

 

でも、この事件の本質的な原因は過剰労働とは別のところにあると薄々感じ、違和感を覚える人は、案外いるんじゃないかと思うのです。

 

とある産業医の方の記事を見つけました。

zasshi.news.yahoo.co.jp

記事内には、こんな文章が書かれています。

 今年の『過労死等防止白書』で過労死に関わる労災補償の状況をみてみると、残業時間が1か月で80時間を超える人たちばかりに精神障害にかかる労災が認定されているわけではありません。

 脳や心臓の疾患の場合は残業時間が1か月で80時間を超えたケースの件数が多いですが、精神障害の場合は労災認定されたケースの約20%は、残業時間が1か月で80時間以下であり、業務による精神障害の発症は、残業時間が短くても十分に起こり得ると考えられます。

 現に私の産業医クライエントには、長時間労働だけれども精神的不調にならずに元気に働いている人もいます。また、残業時間が少なくても、精神的不調に悩む人、それで仕事を休む人もいます。

 ※上記記事より引用、筆者にて太字化

 

私も長期にわたって、月あたり200時間残業を経験し、確かにメンタルヘルスのバランスを崩しかけた経験があるのですが、それ自体は副次的な要因だったと感じています。

 

その頃は経営コンサルタントとしての業務を始めたころで、自分の頭の中で作り上げた理想と自分の実力に乖離がありすぎたことで自己嫌悪にひたり、それをこじらせてしまった、というストレス源の影響を大きく受けていました。

 

この事件においても、彼女のメンタルヘルスを蝕むストレス源が存在したのではないでしょうか。

 

パワハラほどヒットポイントの高い攻撃はない 

 

では、この事件の場合はどうだったのか。

 

筆者個人の見解としては、与えられ続けた上司や先輩からのパワハラが、彼女のストレス源であり、この事件の最大の原因となっていたのではないかと思っています。

 

「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」

「会議中に眠そうな顔をするのは管理ができていない」

「髪ボサボサ、目が充血したまま出勤するな」

「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」

 わたし「充血もだめなの?」

 ※ご本人のTwitterより引用 

 

実際にどのような指導がなされていたのかを把握しているわけではありませんが、

「できてねぇな、ゴルァー!!」

と怒鳴りつけるのは彼女の立場を考えると、指導ではなくただのディスりです。

 

百歩譲って、経験が長くノウハウが蓄積されている社員ならば、まだ問題点を指摘されて、解決方法を探すことは出来たかもしれません。(怒鳴る必要はないですけどね)

でも、彼女は新卒社員で、社会人としてのノウハウは限りなく空っぽに近い状態。

 

そんな彼女に、出来ていないことを頭ごなしに言ったって彼女はなす術もないですよね…。 

 

  

①相手に期待するアクションがあるのなら、どう伝えたらいいか?

②相手の状態と、自分の期待にストレッチがある場合、どの程度のケアが必要か?

 

特に①は上司でなくても当たり前に考えるべきことなはずですが、それができない人は案外多く、これは根深い問題です。

 

仮に上司がしっかり考えた上で、Twitterにつぶやかれたような発言がなされたのなら、逆算的に考えると、彼女の自尊心を打ち砕くことが目的でした、ということになってしまいます。

実際にはこの言葉を投げた本人が目的を考えていたわけではないと思いますが…。

 

パワハラなどと変に横文字がついてしまうと思考停止に陥りやすくなりますが、要は上司の管理や指導と①②の気遣いなき『イチャモン』を混同して行使している状態だと解釈しています。

 

厚生労働省が2012年に実施した「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ報告」では、以下のようにパワハラの行動的パターンを上げています。(ただし、職場のパワーハラスメントのすべてを網羅するものではないとのこと。)

  1. 身体的な攻撃(暴行・傷害)
  2. 精神的な攻撃(脅迫・暴言等)
  3. 人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)
  4. 過大な要求(業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害)
  5. 過小な要求(業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと)
  6. 個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)

上記の気遣いなきイチャモンは、2、4の合わせ技といったところでしょうか…。  

Twitterなどを見る限りでは、女子力の低さを指摘するような6もあったのでしょう…。

 

パワハラは長期にわたって受け続けてしまうと、

『できていない自分が悪いんだ…』

と自己肯定力をそぎ落とされていきます。

 

もちろん、早いうちに声を上げるのが一番ですが、誰もができるわけではありません。

それが指導としてまかり通っている環境だと、指導だ甘えるな!と一蹴されることもありますし、実際に線引きも難しいもの。

もう職場での立場を一切失ってもいい!!という姿勢なら、できるかもしれませんが、そんな姿勢になること自体、ハードルが高いはずです。

明日もここで働かなければいけないと思っている人が、波風を立たせて働きづらくなってしまわないか、想像してしまうのが自然ですよね。

 

彼女は、逃げ場のない状態でヒットポイントの高いパワハラという攻撃を受けていたのではないでしょうか。

 

これからどうしていったらいいのか

 

なぜ論点はすり替えられたのか?

 

―過重労働という定量的な情報の方が伝わりやすいからだろうか?

―彼女が受けた仕打ちを伝えても、時代や性別による捉え方の差があるため、ことの重大さを一様に伝えることが難しいのか?

パワハラの根絶は、単純に労働時間を減らすことより圧倒的に根が深い課題。人々が自然と難しい課題から目をそむけているのか? 

 

こんな記事もありました。 

www.sankei.com

電通強制捜査に着手してからわずか1カ月半、厚生労働省は28日、異例のスピードで立件にこぎ着けた。女性新入社員の過労自殺という痛ましい事実が世論を巻き込み、悪質企業に強い姿勢を示した形だ。政府の「働き方改革」で長時間労働の是正が進んでいることも捜査を後押しした。

※上記記事より引用、筆者にて太字化

 

政府や行政の「働き方改革」では、一億総活躍社会のための体制作り、労働時間の短縮を焦点に当てています。

それらの推進のためのホラーシナリオ役を背負わされたのかもしれませんが、厚生労働省パワハラの根絶推進の担当でもあるはずです。

 

なぜそっちのホラーシナリオ役を担わされることがなかったのでしょうか…。

理由は推察の域を出ませんが、本質的な議論がされなくなってしまっていることには変わりありません。 

 

じゃあどうすべきなのか?

 

パワハラはいけないことですが、それでもパワハラを行使してくる人がすぐにいなくなるわけではありません。

やる人は、やります。

 

そんなやつなんていなくなればいい!

私もそう思いますし、そのために声を上げることが重要ですが、それができないからパワハラが起きているのです。

 

パワハラ攻撃を繰り出してくる人への対処法は、メンタルヘルスを良好に保つためのライフラインとして、考えていくべきだと思います。

 

職場のストレスの大半は、人間関係によるものだと言います。

当ブログでも、職場のストレス源人間との付き合い方の中で、パワハラ野郎への対処法を考え、扱っていきます。

 

そしてもう一つ私たちができることは、自分が同じ穴のむじなにならないよう気を付けることです。

 

ネットを見るとこの事件に対して非常に攻撃的なことを書いたり、上司の実名は?などという書き込みを見ます。

人間は、自分が正しいと思うと、突如強気な態度に出て人を攻撃しがちですが、それこそがパワハラの根源的要素です。

やってはいけないと分かっているのなら、まずは自分がそれをやらないように気を付けることも重要です。

 

 

 

自身が亡くなったあとのこの世界を、彼女はどうのように見つめているのでしょうか…。 

偏重報道に期待することは、その違和感に気づいた人がたくさん増え、本来の課題に向き合うことです。  

 

『祟り目』は盆と正月にふっ飛ばせ!!

 筆者がプレッシャーを感じて苦しんでいたり、ストレスが溜まって抜け出せずにいるとき、決まって遭遇するものがあります。

 

学卒のときの就活中、失恋、転職活動中、転職後の自己嫌悪ループ期、思い出せる限り苦しかった時期すべてで、同じ体験をしている気がします。

 

 

それが、キャバ嬢の勧誘

 

 

 

普段はまっっっったくもって声なんてかけられることもないのに、辛いときに限って勧誘されます。

 

しかも、不思議と

『やったー、キャバ嬢に勧誘されちゃった…!今の苦しみを全部投げ捨てて、自分を必要としてくれる新しい世界があるのかも…!』

みたいな気持ちが片隅に。笑

 

なんというか、ズタボロになった承認欲求が思わぬ形で突如満たされて喜んじゃうような…。

 

でも、平常状態の自分がされたら、イラっとするんだろうな〜、と思うのです。

 

…多分、遠目から見て勧誘したらなびきそう?!て思って声をかけてきてるんじゃないかと思います。笑

 

結局、キャバ嬢への華麗な転身には至らず仕舞いなのですが、普段なら足を踏み込まないことでも、弱っているとふら〜っと立ち寄りそうになることって、ないですか?

 

精神科、心療内科の医師から、数百万の会費が必要な宗教団体への入会を勧められた、という友人の体験談を聞いたことがあります。

 

最初は、宗教とは知らされず(そりゃそうかw)向かったそうなのですが、待っていたのは除霊・憑依のデモンストレーション、超超超高額な入会費の請求…。

(結局高額請求からは逃げ切ることができたそうです…ほっ…)

 

宗教に対して批判をするつもりは、全くありません。

自己責任の元に信じたいものを信じることは極めて自然な行動です。

 

ただ、自己責任が正常に働くならば、です。

筆者がメンタルの状態が悪いなー、と感じていた時期でさえ普段の自分は望んでいないキャバ嬢の勧誘にふら~っとする時があります。

 (筆者のへぼいキャバ嬢勧誘体験と比較してしまってごめんなさい…笑)

 

医師の中には、精神疾患を抱える方への啓発や思考転換のために、説法を聞く程度に勧めることはあるのかもしれません。

 

ですが、精神疾患を抱え、自分の望むものなのか否かの判断が難しい時に、その状況から脱するために行った精神科で、高額請求を求める宗教という環境に放り込んだ医師とはいったい…。

休職しながら治療している方に対して、高額請求を求める宗教への入会を勧めることが、医師がとる打ち手なのか…。

 

もちろん、これはほんとうに一握りの医師による事例で、大半の医師がそうではないんだと思いますけどね!

 

 

実態が目に見えないものを扱うサービスだと、その成果物の評価が難しいということはよくあります。

メンタルヘルスを扱う場合、自分の心がどう感じるかが重要な指標になりますが、そこが揺らいでいるときの自分の判断を信じきるのは危険ですよね。

 

『弱り目に祟り目』とは言ったもんですが、弱り目にはそれが祟り目になりそうなのかを判断することは結構難しい気がするのです…。 

 

筆者が心を弱らせ心理カウンセリングを受けようとしたとき、Google先生の検索結果に不安を感じ、科学的根拠が立証しづらいものしか信じられんっ!!と警戒心全開だったのは、このような友人の体験談の影響を大いに受けています。

 

だからこそ、余裕があるときにメンタルヘルスに対する正しい知識と困ったときの対処法を知っておくことが重要だと感じています。 

 

そして、人はやっぱりお休みの期間は少し心に余裕が生まれますよね…?

日本人の代表的なお休みの期間…?

お盆…?

お正月…???

 

…すぎてる。笑

ま…まだお休みの方もいるはず…(震

 

知っていれば対処できることもたくさんありますので、少しでも興味を持っていただけたら、是非また遊びに来てくださいね。

 

今年はメンタルヘルスに関心を持ってもらえるようなブログ作りに励みたいと思います!