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準の、心はたしなむ程度です

メンタルヘルスィ~を目指す人を応援するブログ

ドラマ『嫌われる勇気』放送開始!アドラー心理学は貧乳をも救うのか?PART②

こんにちは、準です!

 

前回の更新からだいぶ時間があいてしまいました…。

仕事の会食などに参加している間に風邪をひいてしまい、まとまった記事作成の時間が取れる土日に寝込んでしまいました…。

インフルエンザも流行っているようですので、みなさんも体調に気を付けてくださいね><

 

さて、前回はアドラー心理学への理解を深めるために、身近な悩み、私の場合は劣等感☆二大巨頭である『貧乳』(前回同様にHNと記載します笑)と『仕事』による傷をあてはめ、解説して来ました。

 

jyun-ct.hatenablog.com

 

今回は、予告の通り、劣等感を言い訳にし、いつまでも変わろうとしない自分から脱するためにどうしたらよいのか、ということをドラマの原作である書籍同様、対話形式で解説したいと思います。

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出典元:Amazon 

他人からの承認ではなく、自分で自分の承認欲求を満たしてあげよう

 

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私「いつまでも他人との比較で劣等感に浸り、変わろうという勇気を持って一歩を踏み出さないことの言い訳としてHNを利用していたとしても…どうしたらいいか分かりません…」

 

アドラー「準さんは、他者に魅力的だと思われたいけど、多くの人が巨乳を魅力的だと評価するからHNじゃ自分の魅力を認めてもらえない、と思っているのではないですか?」

 

私「はい…巨乳だったら、もっと魅力的に見えて他人の目など気にならなくなっていたと思います…」

 

アドラー「準さんは、まず他者に認めてもらおうとするような、承認欲求を捨てなければいけません」

 

私「どういうことですか!?承認欲求は、人間がもつ普遍的な欲求なんじゃないですか?それを捨てるとは一体…」

 

アドラー「はい、私も承認欲求そのものを捨てろ、と言っているわけではありません。他人に認めてもらうことを通して欲求を満たすのではなく、自分で自分を認めてあげて満たす、ということです」

 

アドラーは、これまで一般的に言われる承認欲求が、自分以外の他者に認めてもらうことを指しており、私たちが目指すべきは、自分の主観によって自分は価値ある存在である、と認めてあげる必要がある、と説きます。

 

アドラー「巨乳な人しか魅力的じゃない、と偏った評価をする巨乳大好き人間さんがいたとしても、世界中にとって準さんが魅力的ではない、という結論に至ることはないですよね?」

 

私「(誰だよそれ)…むしろそうだったら困ります」

 

アドラー「まさに。その人に認めてもらうためには、絶対に巨乳にならないといけない、ですが準さんにとってそれが無理な話だとすると、準さんの承認欲求は永遠に満たされないことになりますよね?」

 

私「(かはっ…!」

 

アドラー「私が伝えたいのは、他者に自分の承認欲求を満たしてもらおうと躍起になることの無意味さです。でも、以前もお話ししたように、人は自分で物事の解釈を決めることができますから、自分の主観によって自分のことを認めてあげることだってできるということです」

 

私「確かに他人に認めてもらおうとすると、底なしの沼にはまりそうな感じがします…でも、自分で自分の価値を認めてあげるというのは、なんだかかなり難しい気がしますが…」

 

アドラー「そこでまず必要になってくるのが、自分で自分を受け入れるということです。HNである自分を否定も肯定もせず、変えようのない事実であることを受け入れます。そのうえで、自分自身をよりよくするためにはどうしたらいいかを考えていくのです」

 

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アドラー心理学では、他人からの承認欲求を否定する一方で、自己受容と自分の主観による他者貢献の認識を確立させることを推奨しています。

 

確かにHNを認めない人に認めてもらおうとしても、無理なものは無理…。

現実世界では、他の価値観を持った人に承認欲求を満たしてもらうことも可能ですが、どこまでいっても全ての自分の要素を認めてもらうことは不可能です。

 

ならば、まずは自分の特徴を受け入れ、より良い人間になろうと心がけるとともに(自己受容)、自分の主観によって、自分は他者に対して価値がある人間だと思ってあげる(他者貢献)方が良いではないか、ということです。

 

ん~…これはとても難しいことだな、と思いました。

特に、仕事にあてはめると少し複雑です。

 

どこの会社にも、評価基準というものが存在し、その基準によって一定期間のパフォーマンスが評価される仕組みになっています。

基準に応じて評価を付けるのは、間違いなく自分ではなく他者がすることだと考えると、宮仕えの立場の人間が上司などから認めてもらいたい、という欲求を手放すことは、ハードルが高い…。

 

もちろん、他人に貢献できているんだ!と感じられるようなオリジナル評価基準を持ち、自分には価値がある、と認めてあげることは理想ですが、それを作り出せる人とそうでない人がいるのは確かです。

 

評価基準なんかがあるからいけないんだ!

…確かにそうかもしれませんが、批判は易し、私たちの大半が評論家ではなく、現実社会で生きる人間です。

目の前の環境・条件のもとで、どうしたらよいか?を考えなければならない立場である私たちは、どうしていったらよいのでしょうか?

 

他人の課題への介入ではなく、他人を支援しよう! 

 

アドラー「 そもそも、自分でできることとできないことがあるとは思いませんか?」

 

私「できることとできないこと…?」

 

アドラー「例えば、巨乳大好き人間さんに対して、HNなりに努力し魅力的に見せようとすることは、準さんのできることですよね?」

 

私「チャレンジするかはともかくとして…はい…」

 

アドラー「ですが、その行動を見て最終的に評価できるのは、準さんではなく巨乳大好き人間さんです」

 

私「まあそうでしょうね…」

 

アドラー「できることをやったら、あとは評価をするのは巨乳大好き人間さんですので、それを気にしないことなのです」

 

アドラー自分にできること=自分の課題/自分にできないこと=他社の課題、と明確に分け、自分の課題だけを全うするよう説いています。

 

私「自分の課題だけをこなして、他人の課題は気にしないというのは、自分以外の人に対して無関心を決め込むようで、少し覚めているように感じるんですが…」

 

アドラー「無関心では決してありません。相手に自分を良く思ってもらえるように、自分は巨乳大好き人間さんを支援するんです」

 

私「でも、それでも結局HNはダメ、って評価されたら、辛くないですか!?これだけ頑張ったのに、相手に伝わらなかったなんて…となりませんか!?」

 

アドラー「それでいいのです」

 

私「だめです!(きっぱり」

 

アドラー「準さんにできるのは、自分のHNを受け入れて、それでも魅力的に見える方法を探しすこと、そして相手をHNを否定する敵ではなく仲間だという気持ちを持って、自分の魅力が伝わるように努力することだけです。

それでも、巨乳大好き人間さんが魅力に気付かず、あなたが傷ついたとしても、そんな自分をまたありのままに受け入れ、またより良い人間になろうと努力するのです」

 

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自分/他者の課題をしっかり分離させ、他者の課題までどうにかしようとすることアドラー介入と呼んで否定します。

そのかわり自分にできることであれば、一生懸命相手を支援してあげる

仮に支援して裏切られたとしても、悲しむ自分を自己受容し、また他者支援を繰り返さなければならない、と。

 

 

これはもう難しすぎて、混乱ものでした…。笑

 

私の仕事で例えましょう。

チーム一丸となってクライアントへの提案内容をまとめ、いざクライアントにその提案をしました。

しかし、その内容をクライアントが気に入らず、炎上してしまったときに上司が私たちを裏切り、全責任を私などに擦り付けてきたとします。

それでもなお、私は次も支援の心で接しなければいけない、ということになります。

 

私たちの生活にアドラー心理学はどう役立つのか?

 

ここまでの流れを下図の通りまとめてみました。

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アドラー心理学では、新しい考え方を採用することで、自分には価値がありここにいてもいいんだという共同体感覚を手に入れることができる、そして人間はここを目指すべきだと説きます

 

まあ言われていればその通りかも、という感じなのですが、自分をありのままに受け入れることも、裏切られるかもしれないのに他者を信頼することも、自分の主観で他人に貢献できていると感じることも、かなり難しいことだと思います。

 

じつは、アドラーもそれが難しいということを分かっているのです。

それでもこんなことを説くのは、

あなたが始めるべきだ。

他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく

 

※『嫌われる勇気』(著):岸見一郎、古賀史健 より引用

ということだそうです。

ふぅー…アドラーはなんと難しいものを私たちに課しているのでしょう…。

 

とはいえ、できることを少しずつ取り入れることは可能です。

例えば、他者の課題に過剰に介入しない、という話。

 

仕事がうまくいかず、周りの目が気になってしまうようなとき。

周りの目を気にしすぎると、目の前のこともまともに手がつかず、また失敗を繰り返してしまうものです。

そんなときは、私にできるのは、今目の前のことを一生懸命にこなすことだ、と頭の中で唱えてみるのが良いでしょう。

 

上司がパワハラ野郎で、自分の評価基準を振りかざし、人身攻撃までしてきたときはどうでしょう。

そんな上司の評価を気にしすぎて、従おうとするととても苦しいですし、従って自分が過ちを犯すようなことがあったら、『私は上司に従っただけです』で責任は免れるでしょうか?

答えはノーでしょう。

間違っていると思ったら、ひそかに自分の評価基準を持ち、全うできたら自分を認めてあげましょう。

パワハラは慢性化すると、判断力が鈍ります。

序盤で感じた自分の違和感や直感を大事にしたいところです。

 

今の時点で私がアドラー心理学に対して言えることは、他者の目を気にしすぎるようになったら、軌道修正する形で私たちを救ってくれる考え方である、ということです。

 

そういう意味では、今時点ではアドラー心理学は私を貧乳の劣等感から根本的に救ってくれいるわけではいませんが、劣等感は緩和されている、といったところでしょうか?

 

 

ちなみに、NEWSの加藤シゲアキさんが主人公のドラマ版は、結局2話目以降を見れていません…。

心理学を扱う番組、という意味では興味があるのですが、テレビドラマとしての面白さとなるともう一歩ほしいのかもしれません…難しいですね…。