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ドラマ『嫌われる勇気』放送開始!アドラー心理学は貧乳をも救うのか?PART①

ドラマ『嫌われる勇気』のアドラー心理学とは?

 

木曜日10時よりフジテレビにて、ドラマ『嫌われる勇気』が始まりました!

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出典元:番組公式HP

 

このドラマは、アドラー心理学の考え方と実践方法を題材とした、ベストセラー書籍である原作『嫌われる勇気』を刑事ドラマに仕立てたもの。

 

今日はそのアドラー心理学についてです。

 

アドラー心理学は、オーストリアの精神科医兼心理学者のアルフレッド・アドラーによって確立された分野で、彼はフロイトユングとともに心理学の三大巨頭と呼ばれている人物です。

もともとはフロイトの研究グループで共に切磋琢磨した仲だったようですが、学説上の違いから袂を分かち、個人心理学と呼ばれる分野を確立させました。

 

原作は、とある哲人が劣等感に悩む青年との対話の中で、青年の悩みにアドラー心理学をあてはめ、解決させていくという内容。

 

先に言ってしまいますが、どうも私はこの対話描写がこそばゆくて、なかなか先に進めませんでした。笑

というのも、青年は長年抱えてきた劣等感で、相当偏屈になってしまっているのか、

『ええい、このサディストめ!!あなたは悪魔のような御方だ!』

などといった発言を頻発させますw

いまどきそんな発言聞いたことないですし、哲人の間違いを論破してやる!!という青年のスタンスにも突っ込みそうになります。笑

 

ただ、アドラー心理学自体は知っていて損はないですし、みなさんにも是非知っていただけたらと思うので、今日は私の劣等感☆二大巨頭である『貧乳』と『仕事』による傷が、アドラー心理学によって解消されるのか検証する形で渾身の解説に挑戦していきたいと思います。

 

スケープゴードにされたトラウマ

 

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 私「友達に貧乳(ここから先は精神的摩耗を軽減すべくHNと書きます笑)をいじられた経験がトラウマで、他人の視線が気になり人前に出る自信がありません…どうしたらよいでしょうか?」

と、アドラーに相談したとします。

 

アドラーはまず、HNで、それをいじられたことが自信のない原因、という私の考えを否定するところから始めます。

 

アドラー「過去のいじられた経験は、本当に原因でしょうか?人前に出る自信のない自分に対して、今のまま変わらなくもいい理由として貧乳(アドラーも歩調を合わせてHNと笑)を言い訳に利用しているのではないですか?」

  

私「ひ…HNってことが嫌なのに、一体何の言い訳に使っていると言うんですか…それに私は変わらなくてもいいなんて思っていません…」

 

変わりたい、でもHNだから変われないと悩んでいるのに、今のままで良いという考えを正当化するためにHNを利用している、なんて言われると訳が分かりませんが、アドラーはこう続けます。

 

アドラー「あなた自身は変わらなくてもいい、と思っている自覚はないかもしれません。では、HNなりに変わる方法を必死に考えましたか?色々考えても、結局『でも…私はHNだから無理…』という考えにたどり着いてはいませんか?」

 

私「…うっ…!でも、巨乳だったらもっと自信が持てたはずだし、変わらなくていいと思っていたらこんなに悩みません!」

 

アドラー「あなたは、HNをいじられていなかったとしても、はたまた巨乳だったとしても、それ以外で人前に立てない理由を探し出していたかもしれませんよ。変わりたいと思っていないわけじゃないんです。変わりたいけど、変わろうとして行動を起こしたときに傷つくのを怖がっているんです」

 

私「えっ、HNってだけで人目が怖いのに、それ以上に怖いことなんて…」

 

アドラー「HNが気になって人前に出られない、という悩みはあなたがすでに経験していることですが、解決に向けて行動すると、新たに恐怖心や嫌な気分になる出来事に直面するかもしれません。それは今のあなたにとっては、経験していないものですよね?人は知らないものに対して、恐怖心を抱くものです。」

 

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HNであることが劣等感となり気にしていることが原因で、人前に出る自信がないと思っていましたが、アドラーに言わせれば、HNなりにどう解決させようかと考え行動に移すことはいくらでもできる、と。

でも、変わろうとしたときに直面するかもしれない、まだ見ぬ出来事を想像してしまうと怖くなります。

すると、今のままの私であることの方が楽だし安心だから回避したい、という気持ちが芽生え、自分が変われなくても仕方ないと思えるような、心地のよい理由を見つけ浸っている、と説いているのです。

 

 

HNによるトラウマや劣等感を、人前に出る自信がないことのスケープゴードにしているように、他でも同じようなことが起きていました。

 

長時間労働とともに『ネガティブ思考のループ』を繰り返している間、メンタルヘルスのバランスを崩しかけたことは過去のブログで幾度となく触れてきました。

 

「次も失敗したらどうしよう…また失敗してしまうかもしれない…。なんでこんなにだめなんだろう…経験も短いし学歴だってみんなほどピカイチじゃない…性別も違って体力もない…」

 

いつも、経験、学歴、性別など、変えられない事実や過去のことを理由に挙げて、だからだめなんだ、と同じことを何度も頭の中で反芻していたことを覚えています。

そうやってる間に、どうしたらいいか考えればよいのですが、それができずにいることを不思議に思っていました。

アドラーに言わせれば、変わろうとしたときに直面するかもしれない出来事を潜在的に避けていたことになります。

 

自分が抱いてきた劣等感が、これ以上傷つかないようにするための言い訳だという視点は新しく、驚きました。

 

全ての悩みは「対人関係の悩み」!でも悩みの種の解釈は自分で選べる!

 

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アドラー「『自分はHNだ』という言葉に込められているHN=劣っている、という認識は、自分の主観的な解釈でしかないんですよ。」

 

私「どういう意味ですか…HN好きもいるから大丈夫だよ、とでも?(ジトッ」

 

アドラー「違います。笑 まず、準さんの下着のサイズをお伺いしてもよろしいでしょうか?」*1

 

私「だめです!!!(叫」

 

アドラー「…。笑 私が言いたいのは、サイズ自体は定量的で客観的な事実ですが、それに対してHNである、はたまたHNは劣っている、という解釈は自分が下した主観的な評価だということです。」

 

人によって変わるということは、主観的な解釈は自分で選んでいるものであり、それを変えることができると、アドラーは説いています

 

アドラー「『HNだからだめ』というのは、準さんの選んだ主観的な評価ですが、これは他人と比較をし、誰かにいじられ、他人の視線を気にしているから発生した悩みで、この世に自分以外の人間がいなければ発生しない悩みです。」

 

人間が持つすべての悩みが『対人関係』の悩みに集約されるというのは、アドラーの代表的な考え方の一つです。

他人がいなければ、比較する対象もないし、自分以外の人間がいなければ、孤独を感じることはおろか、その概念自体生まれません。

 

私「そうかもしれませんが…自分以外の人間がいなくなるわけではありません…。私の中では、巨乳は勝ち、HNは負けという対立軸があって、自分は負けているという解釈は変えられません…」

 

アドラー「まさに、人間関係というのは競争関係ではないのですよ。健全な劣等感は、理想の自分と比較し、もっとよくなろうとするための起爆剤になりますが、準さんのそれは違います。誰とも競争することなく、ただ今の自分よりも良くなろうとすることが重要なのです。」

 

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アドラーが伝えたかったこととは?

 

つまるところ、アドラー心理学とはこんな考え方だと思っています。

 

①人は変わる過程で遭遇するかもしれない出来事を恐れ、勇気を出せずにいる

②劣等感やトラウマはそんな自分が変われないことのスケープゴード

③劣等感を感じている出来事は、自分の主観的な解釈にすぎず、変えることができる

④劣等感が他人と比較して発生するように、人間の全ての悩みは、対人関係によって発生している

⑤本来、健全な劣等感は個人個人が理想に近づくための起爆剤となるもので、他人との比較で発生するものではない

 

仕事でも、自分の経験、学歴、性別を他人と比較し、自分の下した勝ち負けの評価に一喜一憂したところで、それがネガティブな思考の負の連鎖には繋がっても、自分の成長につながっておらず、ただただメンタルヘルスが悪化していったことから考えても、健全な劣等感ではないことは理解できます。

 

みなさんも私の『HN』や『仕事』の事例のように、他人と比較し抱えてきた劣等感や、トラウマだと思っていることが、実は変わらないことの言い訳だったのでは…?と思い当たるようなことはないでしょうか?

 

あったとしたら、次に知りたいのはその先の解決方法ですよね

 

アドラーはそんな私たちに対して、『人生のタスク』に向き合う必要性と、その向き合い方を残してくれています。

次回はそのあたりをブログで解説していきたいと思いますので、ちょっと思い当たる節あるかも…という人は、是非次回も遊びに来てみてくださいね。 

 

おまけでドラマのレビュー!

 

心理学と関係のあるドラマということで興味を掻き立てられ、録画して観ました!

 

刑事ドラマの中でどうアドラー心理学を解説するんだろう?と思っていましたが、NEWSの加藤シゲアキさん扮する青山年雄と、香里奈さん扮する庵堂蘭子が、殺人事件解決の中で遭遇する様々な課題をこなしていく姿を通して、アドラー心理学の考えが解説されていきます。

 

着眼点としてとても面白いと思いましたし、人間関係の輪を乱すまいと気にかけるあまり、後ろの怪しいやつを見逃す青山に対し、人の目をいちいち気にしない庵堂が、自分の課題にまっすぐ突き進む対立的描写はわかりやすいと思いました。

 

ただ、教授兼警視庁コンサルタントの大文字教授と、そんな彼に相談に来る青山、という関係性が『実に面白い…』という過去の産物を彷彿とさせ、単純な面白さで比較してしまいました。笑

 

また、『嫌われる勇気』という題名に引っ張られてか、庵堂が嫌われるようなことを平気でするサイコパス的な人間に映ってしまっていたような…。

 

作中には、庵堂が今の自分の出発点となった、と語る事件を回想する意味深なシーンも…。

これからその真相に迫っていきながら、庵堂がどのようにして『アドラー人間』となっていったのかが、明かされていくのかもしれませんので、もう少し見てみようかな?という感じでした!

 

(PART②へ続く…)

*1:実際のアドラーは多分こんな質問はしていないでしょうね